「はいよろこんで」が大ヒットし、2024年の今年最も注目されたアーティスト・こっちのけんとさん。
最近では音楽番組に引っ張りだこで、2024年大晦日の紅白歌合戦の出場も決まっています。
そんなこっちのけんとさんについて、「実は過去に紅白出場経験がある?」、「過去の活動履歴ってどんな感じだったの?」ということを知りたい人も多いようです。
そこで、今回の記事ではこっちのけんとさんの過去の紅白出場やブレイク前の活動履歴、ヒット曲以外の隠れた名曲について調べてまとめました。
ざっくり言うと
- こっちのけんとは2019年バックコーラスで紅白出場していた
- 上場企業のコンサル会社で働いた経験も
- ブレイク曲の他にも「ビバ・イナイイナイバァ」、「Tiny」など、隠れた名曲あり!
こっちのけんとは過去に紅白出場していた?
こっちのけんとさんは、2019年の紅白歌合戦でRADWIMPSのバックコーラス隊として出演していました。
こっちのけんとさんは、当時の紅白出場についてSNSで投稿していますが、兄の菅田将暉さんも初出場した年でした。
こっちのけんとさんが紅白初出場を飾ったのは23歳。
RADWIMPSの「天気の子 紅白スペシャル」での『グランドエスケープ』でバックコーラスを担当していました。
2019年の大みそか、こっちのけんとさんの両親は、テレビの前で、2人の息子の紅白デビューを見守ったそうです。
偶然が重なり、こっちのけんとさんの出番の後、菅田将暉さんの登場だったとのこと。
当時は菅田将暉さんも紅白という初舞台に今までに経験したことがない位緊張していたとか。
そんな菅田将暉さんも、リハーサルの時から弟のこっちのけんとさんと声を掛け合うなどし、近くに家族がいたことで心強かったようです。
2019年の紅白は、大舞台に立った菅田兄弟にとって、今でも感慨深い出来事だったでしょうね!今度は兄弟でのコラボ出演が見たいな…。
こっちのけんとの過去の活動経歴とは?
こっちのけんとさんは、1996年6月13日生まれで大阪府箕面市出身。
本名は菅生健人(すごう けんにん)という名前で、兄は菅田将暉さん、弟は菅生新樹さんという3人兄弟の真ん中で育ちました。
中学時代に兄の菅田将暉さんが仮面ライダーとしてデビューし、周囲から「菅田将暉の弟」として見られ、そのことに恐怖を感じていたというこっちのけんとさん。
学校のゴミ箱に筆箱が入れられていたり、ネットでは自分のプライベートな情報が流失したりと壮絶な学生時代を過ごしてきたそうです。
こっちのけんとさんに転機が訪れたのは大学生になってから。
大学生時代、こっちのけんとさんはアカペラグループに所属しましたが、アマチュアのアカペラ全国大会の「A cappella Spirits」に出場し、2年連続で優勝したという輝かしい実績を持ちます。
こちらがアカペラ歌手時代のこっちのけんとさん。
こっちのけんとさんが音楽に興味を持ち始めたのは、子供時代にフジテレビの「ハモネプ」がきっかけだそうです。
そんなテレビで観ていたヒカキンさんが、自分の歌を口ずさむ日が来るなんて、めちゃめちゃ感動したでしょうね!
大学時代秘書の経験も
こっちのけんとさんは、大学1年生の時に父親の勧めで衆議院議員の秘書をしていたこともあるそうです。
高校卒業後、18歳で大学進学のため上京したこっちのけんとさん。
こっちのけんとさん自身は地元の大阪の大学の受験を検討していたそうですが、受験間近になって父親から「けんとは東京や」と言われ、その一言で受験先が決まったとのこと。
こっちのけんとさんから見た、父親は、仕事・学業・コミュニケーションと完璧な「結構スーパーマン」で、模範的な存在だったそうです。
そんなこっちのけんとさんの父親は、菅生新(すごうあらた)さんという名前で経営コンサルタントや放送ジャーナリストとして活動されている方です。
父親に勧められた秘書の仕事について、こっちのけんとさん曰く、「楽しかったし勉強になったこともあった」そうですが、「今の活動に生かされているかどうかは、面白い話ができるようになっただけかも…」と当時を振り返って答えています。
「面白い話ができる」ってかなり今生かされてるんじゃないかって思うんだけど(笑)
会社員時代
こっちのけんとさんは大学卒業後、音楽の道ではなく上場企業のコンサル会社に就職して会社員となります。
コンサル会社に就職したのは、こっちのけんとさんの父親の影響が大きかったようです。
一般職に就き、サラリーマンとして全うしていこうと決意したこっちのけんとさん。
しかしながら、働き詰めの生活が続き、自身のキャパシティーを大幅に超えてしまった結果、1年で退職することとなってしまいました。
こっちのけんとさんは夜遅くまで働き、会社に泊まることもあったとか。
そして、久しぶりに自宅に帰った時に玄関で動けなくなってしまったそうです。
こっちのけんとさんは人一倍努力家で頑張り屋さんなのが伝わります。1年間の会社員生活、かなりハードだったんだろうなって思いました。
こっちのけんとのブレイク曲「死ぬな!」誕生の背景と隠れた名曲紹介
こっちのけんとさんのブレイクのきっかけとはなったのは、2022年12月10日にリリースされた「死ぬな!」という曲でした。
こっちのけんとさんは会社員時代の2020年頃、キャパシティーを超えてしまい倒れてしまいましたが、その時にうつ病と診断されたそうです。
そして、療養中に音楽活動をしていましたが、2022年に大学時代のアカペラサークルの先輩より「今レーベルで仕事してるんだけど、曲を出してみないか」と誘われたとのこと。
こっちのけんとさんに人生の転機が訪れます。
その後、先輩の誘いを受け、総合エンターテインメント企業「blowout Inc.」に所属。
2022年8月に自身の初となる楽曲である兄弟をテーマにした「Tiny」をリリースしたこっちのけんとさん。
その頃、まだ音楽の方向性が定まっていなかったと言います。
そんな時に先輩からこっちのけんとさんは普段死生観や生や死について考えていることが多いのでそれを曲にしてみてはどうかという提案があったとのこと。
そのアドバイスを受け、セカンドシングルである「死ぬな!」の制作に取りかかったそうです。
曲を作る際、うつ病を患っていた時に残していたメモが役立ったというこっちのけんとさん。
しかしながら、曲のタイトルが決まらなかったり、曲の主人公的な言葉も見つからないままだったそうです。
そんな中、久しぶりに父親に再会し、「生きていて良かった。これからも死ぬなよ!」という言葉をかけてもらったとのこと。
その言葉を受け、こっちのけんとさんは安心したと言います。
今まで、父親から受験や就職など人生の選択肢でハードルを上げられ、「生きるのが難しい」と感じてしまっていたこっちのけんとさん。
でも、「死ぬな」ということなら、簡単だと思い、その言葉に救われたそうです。
そこで、楽曲のタイトルが「死ぬな!」に決まったと明かしています。
「死ぬな!」は死にたいほど辛かった自分へ、そして「死にたい」と思った人への強いメッセージが込められているんだね。
隠れた名曲①ビバ・イナイイナイバァ
「ビバ・イナイイナイバァ」は、明るい曲調ながら、疲れた心にグッとくる内容の歌詞です。
ミュージックビデオでは、ホームビデオのように右下に「JUN 13.1996」と日付が入っていますが、これはこっちのけんとさんの誕生日。
他にも色々仕掛けがありそうで、確認するのに何度でもリピートしてしまいそうです。
「ビバ・イナイイナイバァ」を聴いた人からはこのような声がありました。
ブレイクした「はいよろこんで」や、「死ぬな!」だけではこっちのけんとさんは語れない!その人それぞれの境遇とか経験で、好きな曲も変わってくるのかもね。
隠れた名曲②Tiny
「Tiny」は、こっちのけんとさんが2022年8月に初リリースした楽曲。
兄弟がテーマのこの楽曲には、兄の菅田将暉さんへの思いがつづられています。
兄弟(姉妹)がいる人は自身と重ねて、過去に比較されたり、劣等感を抱いたりといった様々な感情が入り混じって「Tiny」を聴くと泣いてしまう人もいるようです。
こっちのけんとさんにとって、菅田将暉さんが羨ましかったり、嫉妬の対象なんだけど、かけがえのないたった一人のお兄さんなんだなって伝わる一曲です。
まとめ
今回は、大ブレイク中のアーティスト・こっちのけんとさんの経歴や、ヒットソング以外の名曲についてまとめました。
最後に、今回の記事の内容をおさらいします。
要点のおさらい
- こっちのけんとは2019年バックコーラスで紅白出場していた
- 上場企業のコンサル会社で働いた経験も
- ブレイク曲の他にも「ビバ・イナイイナイバァ」、「Tiny」など、隠れた名曲あり!